2010年1月3日日曜日
米国ボイス・オブ・アメリカの「2009年米国の健康問題を振返って」
2009年12月25日、筆者の手元に届いたボイス・オブ・アメリカ(VOA)の年末ニュースの中から2009年の「米国の健康問題」」に関するトピックスを紹介する。
2009年春以降、筆者はまったく畑違いのブログを書き始めた。いわゆる“2009 H1N1”問題である。筆者の専門はプライバシー法や情報セキュリティ問題、eGovernmentや金融監督法等の“Watchdog”である。従来から多少これらの専門ジャンルを飛び越えたブログを書きとめたこともあったが、おおよそカテゴリーを大きく踏むはずしたことはなかった。
しかし、2009年はパンデミック問題で180度変わった。まさにその原稿執筆は試行錯誤の世界であった。日本語の医学論文さえまともに読みこなせないにも拘らずあえて海外の最新情報の解説にチャレンジした。インターネットがあってこそ実現できたといえるが、おかげで主要国の保健監督機関や疫学研究機関等の“2009 H1N1”の取組み方の差異を改めて理解できたことは筆者にとって極めてプラスになったことは言うまでもない。(秋以降は息切れしてしまったが、今回のブログ作成は2009年に筆者が取り上げてきた話題とボイス・オブ・アメリカの注目点との共通性を検証することでもある)
本題に戻る。VOAの12月25日の記事は、この1年を総括する話題をまとめているが、その中で「健康問題」をピックアップして、米国の4つの重要テーマについて極めて簡潔に要約している。
今回のブログはその紹介が主たるものであるが、実はもう1点従来から筆者が強い関心をもっている「パブリック・デプロマシー(Public Diplomacy)」の役割を解説することも狙いである。
わが国は2009年秋に政権交代が行われ、極めて厳しい2010年度政府予算案がまとまって2010年1月を迎えることとなった。2010年の政治課題はおそらく国内問題を中心に動くであろう。しかし、国内問題だけに固執していると世界の動きに遅れを取ることは間違いない。
例えば、筆者自身まだ書きかけであるが、米国の「大きすぎて破綻させられない金融機関問題(Too Big to Fail)」を発端とする金融安定化に向けた金融規制監督機関制度の抜本改革法案の審議が連邦議会下院で可決されたが、2010年早々に上院「銀行・住宅・都市委員会(委員長:クリス・J・ドッド議員)」で関連法案の審議が始まる。この金融制度改革は、オバマ政権の最重要課題であることは間違いなく、おそらく与野党が連邦監督機関と連携を取りながら審議を進める中で国民の支持と理解を確保するためメディアを効果的に活用しながら進めるであろうことは筆者の経験からみても間違いない。
「パブリック・デプロマシー」はわが国では定訳がない。あえて言えば「政府の対外的な方針を、内外の世論が支持する状態を作り出すために行う戦略」といえよう。そうであるなら余計にわが国の政府や行政機関は「パブリック・デプロマシー」のあり方についてより専門的に広く研究し、実現向けた努力を行うことを期待するものである。
1.ボイス・オブ・アメリカの「米国の2009年健康問題の総括」
4つのテーマにつき説明する。なお、筆者の責任で注記や関連するURLを加えた。
(1)新型インフルエンザ・パンデミック
2009年の早期、メキシコは神秘的ともいえる感染症の震源地となった。季節性インフルエンザがしばしば高齢に重症感染するのに対し、このインフルエンザは重症呼吸器疾患(severe respiratory illness)により若者を狙い暴れた。
メキシコや米国の保健機関は豚、鳥および人間のインフルエンザ感染といった複合ウィルスに困惑した。最初は「豚インフルエンザ(Swine Flu)」と呼んでいたが、数ヶ月後には公衆衛生機関の専門家は正しいインフルエンザ名“H1N1”と呼び始めた。メキシコは世界的な観光地であり、豚インフルエンザは北アメリカを越えヨーロッパやアジアの一部に急速に感染拡大した。
世界保健機関(WHO)事務局長のマーガレット・チャン博士(Dr.Mergaret Chan)はH1N1の世界中の感染拡大にあわせ毎日その一連の関連情報ブリーフィングを開始した。
6月11日、WHOは新型インフルエンザが世界的な大流行に入った(パンデミック:フェーズ6)旨の宣言を行った。チャン事務局長は、本ウィルスは緊密かつ注意深い監視下で拡がっている、すなわち、過去のパンデミックでは経験したことのない感染拡大のはじめから早期に緊密なかたちでリアルタイムの検出が行われたと述べた。
WHOはワクチンメーカーによる接種可能なワクチンの製造を承認し、その1か月後には最初の人による治験を承認した。
10月までにワクチンの接種が保健機関、妊婦や持病も持つ若者に対し実施された。
米国疾病対策センター(CDC)の部長であるアン・シュカット博士は「ワクチンの供給増加とともに我々はワクチン接種に対するアクセスの容易さ、信頼性および希望が増加している」と述べた。
12月下旬にWHOはH1N1により世界で1万人以上が死亡した旨報告した。これらの死亡のほとんどは北米で起きたものである。WHOは緩やかな感染の国々で感染者数のカウントを停止した国があると述べている。
新型インフルエンザ・ウィルスは年末までに北米や欧州では小康状態になると思われるが、しかし一部専門家は2010年の早い時期に第三の波が戻ってくると述べている。
(2) マンモグラム検査(mammograms)の開始年令に関するUSPSTF勧告
2009年、米国は「乳癌(breast cancer)およびその阻止に関する政府指名専門家グループによるマンモグラム(乳房X線)検査に関する勧告書(ガイドライン)」が論議を増加させた。この数10年間米国の女性は乳癌検査の一環として40歳から始まる早期のマンモグラム検査の受診が唱えられてきた。
しかし、米国連邦保健福祉省(HHS)は、11月に「予防医療サービス専門作業部会(U.S.Preventive Services Task Force:USPSTF)」(筆者注1)は最初の女性の乳房X線撮影検査年齢を40歳から50歳に延長し、その実施は1年おきとするとの勧告を行った。11月末には、多くの米国の医師や女性はこのガイドラインの内容は不満であると述べた。
ニューヨークのセイント・ルカ・ルーズベルト病院(St.Luke’s Roosevelt Hospital)のシャロン・ローゼンバウム・スミス(Sharon Rosenbaum Smith)博士等の医師は、患者に対しこの勧告を無視するよう助言するであろうと述べている。同博士は米国の女性は40 歳でマンモグラム検査を開始すべきである、すなわちそのことにより癌腫瘍が比較的小さいうちに発見できると指摘した。
これらの反発に応じ、連邦保健福祉省のキャサリン・シベリアス長官は患者に平静を保ち主治医と良く話すよう助言している。すなわち、患者は医者とともに自分の症状や家族の関連病歴等の解明を行うべきであり、これらは極めて重要な判断要素であると述べた。
(3)自殺軍人の増加
2009年の米国陸軍(U.S.Army)における自殺者数は記録的水準に達した。米国陸軍人事管理局(U.S.Army personell)は自殺率が2008年の総合計より上回ると予想しており、陸軍はその潜在的原因追及の研究を開始した。陸軍副参謀総長ペーター・チアレリ(Vice Chief of Staff,General Peter Chiarelli)は、軍の人事管理部門は精神疾患の軍人の扱いについてより積極的になるべきであると述べた。
すなわち、ナーバスな彼らは仲間や上司が自分を笑いものにし、さらに悪いことに自分のキャリアにマイナスになると考え、軍人個人が沈黙の中に閉じこもることは絶対に受け入れられないことであると述べている。(筆者注2)
(4)子供の死亡者数の減少
2009年には希望が持てるニュースがあった。9月10日に国連ユニセフは5歳以下の子供の死亡数が2008年を下回るであろうとする予想を発表した。子供の死亡数が900万人を下回るとする国連の報告は初めてであると述べた。
予防接種の拡大、マラリア阻止のための殺虫剤の活用、母乳推進、下痢や肺炎への的確な措置がその理由としてあげられている。(筆者注3)
2.米国の「パブリック・デプロマシー」
(1)変遷の整理
連邦議会調査局(CRS)がまとめた米国情報庁(U.S. Information Agency)の歴史要約資料に基づき以下説明する。
「米国政府は、ウッドロー・ウィルソン大統領(President Woodrow Wilson)が広報委員会を創設した20世紀の初期の時代のパブリック・ディプロマシー活動の使用が第一次世界大戦の間、海外での情報を広めると初めて公式に認めた。
第二次世界大戦が突発した1941年、ルーズヴェルト大統領は、防諜活動とプロパガンダを行うために対外情報局(Foreign Information Service:FIS)を設立した。ルーズヴェルト大統領は、1942年2月24日にヨーロッパでプログラムする最初のボイス・オブ・アメリカ(VOA)プログラムを放送するため戦時情報局(Office of War Information:OWI)を創設した。これらの活動は議会により提供された何らの権限や承認なしで行われた。
それらは、1940年代にすでに運用を始めていたが、米国の放送および文化活動の認可に関する最初の包括法「1948年米国情報・教育交流法(U.S.Information and Educational Exchange) (P.L.80-402) (22 U.S.C. 1461)は、一般的にはスミス・ムント法(Smith- Mundt Act)と呼ばれる。
同法案の率先提出者である連邦議会のアレキサンダー・スミス上院議員(共和党・ニュージャージー州選出(Alexander Smith:Republican from New jersey )は、法案の主旨につき次のとおり説明している。(もう1人は下院議員 カール・E・ムント・サウス・ダコタ州選出(Karl E. Mundt:South Dakota)である)。
「この法案は、国務省第二次世界大戦戦争終結以来運用されてきた活動への法的権限を与えるという試みである。 それは実際に国務省の「文化交流部(State Department’s Division of Cultural Relations)、米州局(Office of Inter-American Affairs)、および「戦時情報局(Office of War Information)」の活動の強化が目的である。
米国政府はヨーロッパでの自国の理解がいかに不十分であったかを主張して、第二次世界戦争の後に合衆国に対してロシアの敵対的な情報キャンペーンに対抗する際に、スミス議員は同法案提出に関し提案者の意図を次のとおり説明した: 「本法案は、自慢げなプロパガンダを意味しない。真実を語る(telling the truth)ことを単に意味するのみである」。
その後の数年間、数次にわたり行われたパブリック・ディプロマシーの再組織化と政策変更は、主にコスト削減または効率性を増加させるという2つの理由に基づくものである。
1953年に、アイゼンハワー大統領は、1948年のスミス・ムント法によって承認された機関として「米国再組織化計画第8号(Reorganization Plan No.8)」に基づき「米国情報機関Information Agency(USIA)」を創設した。 創設時点のUSIAの役割は、主として放送と情報プログラム(当時いくつかで、「プロパガンダ活動」と言われる)を管理することであった。フルブライト上院議員の勧告にしたがい(彼自身、文化交流の確立法案を提出していた) 教育的な交流事業は、プロパガンダの意図とするいかなる責務も避けるために国務省に残された。
ほぼ同時期に「自由欧州放送/自由放送(Radio Free Europe/Radio Liberty:(RFE/RL) )は、1947年12月に創設された中央情報局(CIA)の秘密裡の援助の下で1950年に放送を開始した。国際放送委員会(Board for International Broadcasting:BIB)は、1973年にRFE/RLの運営に資金を供給するとともに、監督機関として創設された。 その結果、RFE/RLはBIBを通して政府の認可を受ける民間かつ非営利放送となった。 BIBの設立目的は、東欧と旧ソ連への米国政府(CIA)とRFE/RLの代理放送の間にファイアウォールを提供することであり、この考えは、米国政府から分離した形でRFE/RLを保つことによって、信頼性を増加させることであった。
1977年「米国再組織化計画第2号(Reorganization Plan No.2)」は「各州の教育と文化問題事務局(State’s Bureau of Educational Cultural Affairs)」とUSIAの国際情報・放送に関するすべての機能を「国際通信庁(International Communication Agency:ICA)に統合した。
ついで1982年にはP.L.97-241の303条(b)項に基づき、ICAは「米国情報庁(U.S.Information Agency:USIA)」に再度改名された。
1994年、議会はUSIAから国際放送部門を除き、USIA内に「独立政府放送管理局(independent Broadcasting Board of Governors:BBG)」を設置するとともに、国際放送委員会(Board of International Broadcasting)の廃止を認可した。
BBGの監督下で53か国語によるVoice of America のラジオ放送、WORLDNET television and Film Serviceのテレビ放送(1983年開始)、キューバ向けRadio MartiとTV Marti(1985年開始)、中欧と旧ソ連向けのRadio Free Europe/Radio lberty、中国・チベット・ビルマ・ベトナム・北朝鮮・カンボジア向け7か国語で流されたRadio Free Asia といった非軍事の政府国際放送が統合され、国際放送局(International Broadcasting Bureau:IBB)が組成された。
しかし、財政健全化や外交機能の見直しを求める議会の駆け引きの中でUSIAは1995年頃から大幅な人員削減が行われ、1998年10月1日の上院外交政委員会委員長のヘルムズ議員による外交政策の再組織化(無駄をなくし予算節減目的のため)により支持した「外交問題改革・再構築法(Foreign Affairs Reform and Restructuring Act of 1998 )」にもとづき1999年10月1日にUSIAは廃止された。これによりUSIAのスタッフ4,025人は国務省に移管され、残された機能(情報プログラムと教育・文化交流は1977年の時と同様国務省に統合され、USIAの国際放送部門(International Broadcasting Bureau)は切り離され、国務省傘下の独立連邦機関となった「政府放送管理局」(Broadcasting Board of Governors)」の監督下におかれた。
(2) 米国「パブリック・デプロマシー」の持つ意義と国務省へのUSIAの統合の評価
米国で「パブリック・デプロマシー」と言う用語が使用され始めた時期は1965年で、その定義は①非政府(non-governmental)の個人や組織に主として関わる、②政府の公式見解に加えて個人や組織の私的見解も提供するという2点において、国家対国家の関係で展開されてきた「伝統的外交(traditional diplomacy)」と異なるし、また虚実に基づいても成立しうる「プロパガンダ」とも異なり、信頼の鉄則が求められる。
USIAを統合した国務省は教育文化事業局を新設しUSIAが担当していた教育文化交流事業プログラム(Exchanges)を継続させるとともに、国際情報プログラム部(Office of International Information Program:IIP)を新設しUSIAのInformation Bureauが担った情報プログラム(Information)を継続させた。
これら2部門に加え、従来から国務省にあった国内広報局(Bureau of Public Affirs:PA)の3部門全体を統合管理するPublic Diplomacy/Public Affires担当国務次官(Under Secretary for Public Diplomacy and Public Affires:PDPA)
を新設した。
ここでは“Public Diplomacy” は「国際的に鍵となる人々を関与させ、情報を提供し、影響を与えること(engaging,information ,and influencing key international audiences)」また“public affairs”とは「米国民への働きかけ(outreach to Americans)」と極めて簡単な定義がなされている。要するに国際にかかわるpublic diplomacy と国内に関わるpublic affairsを密接不可分に推進するという米国の政治戦略が明示されている。(筆者注4)
(2)ボイス・オブ・アメリカの強化論
米国のPublic Diplomacyについては1999年の国務省への統合により弱体化したという見方があるが2001年の同時多発テロ以降、「パブリック・ディプロマシー諮問委員会(U.S.Advisory Commission on Public Diplomacy)」や政府筋から
Public Diplomacyの強化を指示する意見があり、VOA等米国の国際放送は強化されている。(筆者注5)
(筆者注1) USPSTFは、連邦保健福祉省の下部機関である「保健医療研究・品質向上局(Agency for Healthcare Research and Quality:AHRQ)」の諮問機関である。米国では、元々は1989年に保健医療政策・研究局(Agency for Healthcare Policy and Research :AHCPA)が設立されていたが、「1999年保健医療研究・品質向上法(Healthcare Research and Quality Act of 1999) 」が12月6日にクリントン大統領の署名を得て成立したことを受けて、「ヘルスケアに関する研究と質の向上」を活動目的とする「保健医療研究・品質向上局(Agency for Healthcare Research and Quality:AHRQ)が米国連邦保健福祉省(HHS)の下部機関として新たに機能を拡大し設立された.その活動目的とは,患者や現場の医師,医療界のリーダーや政策立案者に対して,証拠に基づいた科学的な情報を提供するとともに,患者の安全と質の向上にとって、何が有効で何が無効なのかについて科学的な情報を集積すること等である。
(筆者注2) 軍事機密と言う性格のためかVOAの記事の取材源は確認できなかったが、おそらく2009年7月29日の連邦議会下院陸軍軍事委員会人事管理小委員会(House Armed Services Committee Subcommittee on Military Personnel )証言ではないかと思う。
(筆者注3) このような米国の楽観論の一方で、英国BBC が報じるとおり、死亡者数の減少が予想以上に遅いという指摘もある。
(筆者注4) 本節の解説については国際交流基金「主要先進国における国際交流機関調査報告書」21頁以下 和田純(神田外語大学教授) 「Ⅱ 米国」:米国「Public Diplomacy」から一部引用した。
(筆者注5) 本節については国立国会図書館調査及び立法考査局「レファレンス」2007年3月号 清水直樹 「平和構築のためのメディア支援」から一部引用した。
[参照URL]
http://www1.voanews.com/english/news/health/Swine-Flu-Tops-List-of-2009-Health-Issues-80112447.html
http://www.archives.gov/research/guide-fed-records/groups/306.html
http://www.jpf.go.jp/j/about/survey/advanced/pdf/02.pdf
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200703_674/067409.pdf
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