わが国のメディアがあまり大きく取り上げていない人権問題として「国家の安全保障と通信傍受問題」がある。
わが国における犯罪捜査対策としての公表される唯一の「通信傍受」のデータは、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11年法律第137号)」29条に基づき法務省が行う「実施状況等」である。平成27年度の統計では、計10件の傍受令状が発付されており、いずれも罪状はいわゆる「覚せい剤取締法」、「麻薬特例法」に基づくもので対象となる通信手段はすべて「携帯電話」である。
一方、グローバル・ネット時代に技術面を優先して取組んできたわが国のISP等通信事業者にとって、通信傍受対策の法的検討は進んでいるといえるであろうか。大国の政府からのテロ対策等による要請を受けたときや秘密裏に国際的な傍受が行われているといった問題について、わが国の専門家による議論はあまりにもお粗末である。なお、8月9日に政府は「カウンター・インテリジェンス推進会議(議長・的場順三官房副長官)」を開き、 「カウンター・インテリジェンス機能の強化に関する基本方針」を了承したが、その中核は、①国の安全・外交上の重要情報にあたる「特別管理機密」漏洩防止のための政府統一基準の策定(平成21年4月から適用)、②内閣情報調査室に「カウンター・インテリジェンス・センター」設置(平成20年4月設置)する点であると報じられている。この点についても縦割り行政の弊害が出ないよう、政府のリーダーシップを期待したい。 (筆者注1)
今回は、8月初旬に上院・下院の可決を経て8月6日に大統領が署名し、約30年ぶりに改正が行われた米国の「1978年外国からの国家安全保障情報の監視に関する法律(Foreign Intelligence Surveillance Act of 1978)」の改正法たる「Protect America Act of 2007」に関する最新情報の裏話を含め紹介する。 (筆者注2)なお、わが国ではほとんど紹介されないオーストリアで最近時に毎年のように行われているISPのサーバー等の「蓄積情報の傍受法」改正の詳細な経緯については、別途改めて紹介する。 (筆者注3)
1. 米国におけるテロの脅威の拡大と通信傍受
米国の歴代大統領は通信傍受の強化には必ずしも熱心ではなかったとされている。しかし、ニクソン大統領によるウォーターゲート事件をきっかけとして「ニューヨーク・タイム」紙に発表された内容は、米国CIAの外国指導者の暗殺、外国政府の転覆、米国市民の政治活動に関する情報収集等が含まれていた。これを受けて1975年に連邦議会に設置されたのが「情報(インテリジェンス)活動(筆者注4)に関する政府の運用についての連邦議会上院特別調査委員会(United States Senate Select Committee to Study Governmental Operation with respect to Intelligence Activities:チャーチ委員会)であり、同委員会は計14の報告書・提言を発表している。これらの提言を受けて成立したのが「1978年外国情報活動監視法(Foregin Intelligence Surveillance Act of 1978:FISA)」であり、また同法に基づき新たに「外国情報活動裁判所(Foreign Intelligence Surveillance Court:FISC)」が設立された。
(1)FISAおよびFISCの活動の概要
FISCは11名(Patriot Act成立以前は7名)の連邦裁判官(任期7年)から構成され、その主たる任務は外国政府またはテロリストとの接触を行っていると疑う米国内の人間を監視することである。FISAによると監視下におかれる米国人は外国勢力の機関員であると信じうる十分な理由がなければならず、従って米国内でCIAは一般的な電子監視は一切行えず、FISAに基づき監視令状(surveillance warrants)を取りFBIに実行させるしかなかったのである。従って、実質的にNSAによる国内傍受は不可といえた。
この原則には例外があり、①米国内に住む住民に対し、大統領は司法長官を通じて72時間以内の令状なしの監視を行うことができるが、その場合、司法長官はできるだけ早期にFISCにその旨を報告し、事前に令状を得られなかった理由を説明しなければならない。②仮に連邦議会が戦争状態に入ったと宣言した場合、大統領は司法長官を通じて15日間の令状なしの監視が許可される。
FISCの令状の発行手順は次のとおりである。
① 政府のインテリジェンス機関は、まず監視要求を国家安全保障局(NSA)および司法省情報政策調査局に出向く。
② 司法省は司法長官に勧告を行い、長官が承認した場合、政府は監視令状の発行をFISCに要求する(同令状には盗聴および捜査が含まれる)。
③ FISC裁判官は司法省に集まり、次の特別な手順を取る。
・司法省の弁護士のみが裁判所に出廷できる。
・ 監視下に置かれる人間は同手続きについての情報は知らされず、また弁護士の代理もつかない。
・ 仮に政府の要請が拒否されたときは、政府は3人の裁判官からなる「再調査上級裁判所」に控訴できる。
・ さらに上級裁判所が拒否したときは、政府は連邦最高裁判所に控訴できるが過去控訴されたケースはない。
(2)「パトリオット法(愛国者法)」における通信傍受
パトリオット法はFBIの通信傍受の要件を緩和せず監視令状は必要とされるため、情報機関は傍受対象者のテロとの関係を明らかとしなければならず、同法はNSAに新たな権限を与えるものではなかった。
(3)人権保護団体(Electronic Frontier Foundation:EFF)による令状なし通信傍受に対する集団訴訟の提起
2.Protect America Actの要旨
米国は世界の情報ネットワークの中心的存在であることは間違いなく、海外の国家間の電話やインターネット等の情報交換が米国内で行われている実態に着目した。
ホワイトハウスの説明では今回の法改正の趣旨を次のように述べている。
(1)政府は1978年以降のネットワーク技術等の進展に対応してFISAの守備範囲の拡大を図ってきたが、この意図せざる拡大は多くの場合、海外に位置する外国の情報の収集のため裁判所の命令が必要という障害が残されていた。このため不要な障害を除去し、迅速にインテリジェンス・コミュニティ機関の権能を強化すること、すなわち①海外の敵の意図についてリアルタイムの情報収集を行い、②米国に危害を加えようとする外国のテロリストではなく米国市民がよりよく安全な生活ができるような情報を充実する。
(2)米国政府は外国に位置する外国の情報機関の監視を行うために裁判所命令を得る必要はないはずであるが、FISAの立法時にはこの点は見逃されており、米国を守るべき外国の情報の収集・確保ができていなかった。
(3)新法は4つの重要な方法でFISAを近代化するものである。
A.同法は政府の情報機関の専門家が第一次裁判所の承認を受けないで効果的に外国情報の収集を行うことを認める。
B.同法は、インテリジェンス・コミュニティ機関が監視の海外にいる個人を対象とすることを保証することを証明しやすくするようFISA裁判所の役割を提供する。
C.同法はFISA裁判所が第三者に対し直接インテリジェンス・コミュニティ機関の
情報に協力にするガイダンスを提供する。
D.同法は政府が提供する支援行為から生じる民事訴訟から第三者を保護する。
3.新法の米国憲法上等の解釈上の留意点
筆者が見た限り一部メディアでは取り上げているものの人権保護団体等でも本法の問題点について法的な分析・解説があるように見えない。米国政府が述べているように6カ月間の時限立法であり限定された目的の法律であるからといって、米国の憲法上の問題点等がすべて明確に明らかにされているとは思えない。
一般向けメディアや政治家の意見等について、CNETが「FAQ」で紹介しているので今回はその概要を述べるにとどめ、機会を改めて解説を行うこととする。
(1)新法は実際何を目的とする法律なのか。
新法の目的は、限定的裁判所の監視下における国家安全保障機関による電話、電子メールその他インターネットを介した情報の盗聴権限の拡大である。ISP等通信会社は政府からの要請の受諾が義務付けられ、もしそれに応じたときはあらゆる訴訟リスクが免除される。ジョージ・ワシントン大学のOkrin Kerr教授は「FISAに基づく令状はインターネットや海外にいると合理的に信じうる個人という概念を用いる必要がなかったが、現在では、国家安全保障機関は予め裁判所命令を要することなく国内からプラグインすることができる」と述べている。
(2)新法の施行期間はどうなっているのか。
ブッシュ大統領は署名時に施行期間を6か月とする「サンセット条項」を入れた。この法律内容の変更はどのように恒久法としての文言を入れるかについての対立に基づき、連邦議会の政治家とブッシュ大統領の署名直前の1分間の交渉により追加されたものである。
(3)なぜ下院議長のNancy Pelosiや民主党議員は同法案について2007年秋の議会まで結論を延期することや完全に廃案にすることを行わなかったのか。
政治家固有の懸念である。下院の規則が共和党は保守党として投票スケジュールを強行させた。下院議長は投票を無期限に延期できた。実際に同議長は今回の立法は憲法違反であると述べている。
多くの民主党議員はサマーホリディ前に入る前に法案の採択ラッシュを懸念していた。共和党のRush Holt議員(ニュージャージー州選出)もこのような不安を煽るような(fear-mongering)立法は行うべきでないとのコメントを行っている。しかし最終的に、民主党の議員たちはテロとの戦いに弱腰であるとの世論や、またインテリジェンス機関からの妨害やバカンスに入る前に投票するという安易な姿勢をとったのである。
(4)新法に関し最近時の裁判所の姿勢の懸念すべき変化はあるのか。
詳細は不明であるが確かに変化がある。下院の少数派の代表であるJohn Boehner議員 (オハイオ州選出、共和党)は、「この4,5か月以上について米国内を経由して通信を行っている海外のテロリストに関する事情聴取に関し、米国の諜報機関や敵対諜報関係者の行為を禁止するルールがあるようである。しかし実際そのようなルールが存在するのか否かは明らかでない」と述べている。
(5)通信会社が連邦法違反を理由としてNSAとのネットワークの公開せよと訴訟を起こされることとはどのような意味を持つのか。
司法省はこの点に関する継続中の訴訟についてコメントは行っていない。また人権保護団体であるACLU(American Civil Liberties Union)は個別訴訟について、なお新法の影響を調査中であるとしている。新法は通信会社に免疫性を与えたが法的責任について例外ではない。裁判所の取組は、理論上は弱まるものの継続するであろう。
(6)電話会社は今回の新法についてどのように考えているのか。
AT&T、QuesrやVerizonはなんらコメントしていない。2006年AT&Tはサンフランシスコのスウィチングセンターでインターネットや電話の通話につきモニタリングしている差し当たりのない理由(benign reasons)を求められた訴訟事件において、事故的に情報を流失させている。
民主党のリーダー的存在であるMaConnell議員は私的な会合で大手通信会社は新法により司法長官や国防総省(DNI)からの命令に基づき法執行機関との協力を求められることを懸念していると述べている。
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(筆者注1)わが国のカウンター・インテリジェンス機能強化の取り組みを概観するには、次の内容を理解する必要があろう。
平成22年(2010年)5月 内閣官房「情報と情報保全」
(1) 情報機能の強化
①1我が国における情報機能強化に向けた政府の取組
平成18年12月:内閣に「情報機能強化検討会議」を設置(議長:内閣官房長官)
平成18年12月:内閣に
「カウンターインテリジェンス推進会議」設置
平成19年 8月:
カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針」決定
:カウンターインテリジェンス機能の強化に関する
基本方針の着実な施行について(閣議口頭了解)
平成20年 2月:「官邸における情報機能の強化の方針」を公表
平成20年 3月:内閣情報会議の再編に関する閣議決定
上記方針の実現に向けた取組の強化について閣議口頭了解
平成20年 4月:内閣情報分析官を設置
平成20年 4月:
「特別管理秘密に係る基準」以外の政府統一基準施行
内閣情報調査室にカウンターインテリジェンス・センター設置
平成21年 4月:「特別管理秘密に係る基準」施行
② 我が国の情報体制
平成20年3月までと同年4月以降の比較図
④ 官邸と情報コミュニティの連接
⑤ 情報の集約・分析・共有機能の強化
⑥ 情報評価書に基づくインテリジェンス・サイクル
(2) 情報の保全
(筆者注2)ブッシュ政権における令状なしの通信傍受のための法改正に今までの経緯の分析については、慶応義塾大学大学院政策メデイア科の土屋准教授の報告書「ブッシュ政権の令状なしの通信傍受をめぐる課題:デジタル技術とネットワークがインテリジェンスにもたらした変化」が参考になる。ただし、今回の新法については直接言及されていない点と、最後の章「5.通信の秘密と安全保障」内容は今一である。新報時の問題点を含めわが国の安全保障法制のあり方について更なる研究を期待したい。
また、弁護士の高橋郁夫氏と清和大学助教授の吉田一雄氏の「ネットワーク管理・調査等の活動と「通信の秘密」」も参考とされたい。(筆者注3)オーストラリアの2005年4月「通信蓄積データの傍受」に関するKDDI総研のレポートが貴重な報告といえる。ただし、このレポートは法改正の最新情報をフォローしていない。筆者は国際的個人情報保護機関のオーストリア支部の議論メンバーとして取り上げたい。なお、同レポート本文は検索サイトで「オーストラリアでサーバー上のEメールを通常令状で傍受できる法改正が成立」を入力、クリックされたい。
(筆者注4)米国における国家安全保障法に基づき定められた機関の集合体を「インテリジェンス・コミュニテイ」と呼んでおり、2007年8月1日現在同サイトによると中央情報局(CIA)、国防総省国防情報局(DIA)、国家安全保障局(NSA)、国家偵察局(NRO)、国務省情報調査局(INR)、連邦捜査局(FBI)、空軍・海軍・陸軍・海兵隊情報部、国土安全保障省(DHS)、財務省情報分析部、麻薬取締局国家安全保障情報部等16機関から構成されている。インテリジェンス・コミュニティの基本的機能は、①情報収集、②敵の諜報活動および破壊活動、③敵の対諜報活動、④秘密活動(破壊工作、欺瞞工作、転覆工作、イデオロギー戦への支援等)に分類される。
〔参照URL〕
http://www.epic.org:80/alert/EPIC_Alert_14.16.html
Last Updated January 3,2017
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